LEAF〜麦わら帽子のホムンクルス〜
2人は、恋人になった。 もう、レオンはためらいなくユミィと手をつないで街を歩ける。 ユミィも遠慮なく、レオンに身を寄せて隣を歩ける…。 つないだ手の位置は相変わらず不格好だったが、2人は幸せだった。 もうすぐユミィの誕生日。 見た目年齢こそ15歳ほどだが、飼育ポットから出して抱き上げた日を誕生日とするなら、 ユミィはまだ5歳ていどだ。 背丈は1年前に止まったきりだが、雰囲気はずいぶん大人らしくなった。 一緒に暮らす相方としては、本当にいい働きをしてくれている。 レオンはユミィの誕生日に、シルバーのネックレスをプレゼントした。 実質、これが初めての誕生日プレゼント。ユミィは喜んで毎日身につけてくれた。 ユミィは、人間の恋人同士がすることを、少しずつレオンから教わっていった。 手をつなぐ、肩を抱く、恋文を書いたり、くさいセリフを言い合うようなこと。 いきなりキスやセックスの仕方から覚えていったユミィだったが、 それらの動作を興味深深にこなしていった。 レオンはたまにユミィと一緒にプロンテラ北の丘にあがり、剣の稽古をつけた。 子供が扱うようなサイズのマインゴーシュを持たせ、 弱めのモンスターを相手に実戦訓練もつけた。 非常のときにそなえてというお題目だったが、 自分の持っている剣の技術を、彼女と共有したいというのが本音だ。 もっともっとひとつになりたい。レオンはユミィを愛してやまなかった。 ひとつふたつ戦闘が終わると、木陰に座って休憩をした。 2人で作ったポーションを口移しで飲ませ、ときにはそのまま半分こした。 川のせせらぎが心地よく耳に響く。 望遠鏡から山の麓を見下ろすと、魔法の都市ゲフェンが見える。 「僕らの前の家はあのへんだ。大きな鐘がぶらさがる教会の、すぐ近く。」 「ほんとだ…。家も人も豆粒みたいだねぇ。」 貴重な青いハーブを求めてゲフェン北東部の山頂までハーブを狩りに来た。 このあたりの景色は絶景で、魔物さえ出なければ家族でハイキングなどもいいだろう。 バカでかい花や食虫植物、輝く草までお目にかかれる。 青いハーブは精神充填材だ。魔法使いやプリーストが好んで使う。 これもポーションに加工して、瓶詰めにして売る。 あまりたくさんは作れないが、レオンの露店では高額な商品のひとつだ。 布袋がハーブでいっぱいになった。あとはこれを家に持って帰って加工して…。 珍しい花や植物の茎なども狩ったし…。まぁひとまず山を下ろう。 長い長いつり橋を渡ると高低さの激しい山道が続く。 道さえ間違えなければさほど恐ろしいモンスターもやってこない。 足腰さえ丈夫ならば誰でもこの山には登れるだろう。 山道を下るとプロンテラ北のだだっぴろい平野につながっている。 魔法によるテレポートや飛行船の発達で、最近ではプロンテラ北にはほとんど人がいない。 砦がいくつかあって、その奥にプロンテラ城がそびえ立つ。 城下町はその南側に発達している。レオンの家は、プロンテラ城下町南東部裏路地の、 旧剣士ギルドのすぐ隣のボロ屋だ。 一度荷物を降ろしたレオンは製薬用の道具棚を調べた。 今日は、ユミィのおつかいの日。 レオンはメモに必要な道具を書き込んで、ユミィに渡した。 「乳鉢とポーション瓶、セルー、あとスリムポーションに使う試験管。 10000zもあれば足りるだろう。」 「おつりは?」 「好きなものを買っていいよ。」 「じゃあ…。ケーキが食べたい。」 「道端で食うなよ?」 「たべるわけないじゃん!」 首から提げた巾着袋が子供っぽくてかわいかった。 製薬用の道具はプロンテラの北、国境都市アルデバランに売っている。 なぁに、船に乗っていけばあっという間だ。 レオンはプロンテラ南門のところまでユミィを送り、露店の仕度をはじめた。 噴水通りの南側、いつもの場所。このへんがプロンテラ城下町では一番賑わっている。 たまにはひとりで商売するのもいいものだ。 いつもはユミィの手元を心配するばかりで、ゆとりがない。 「えーと、白ポーションを20個、万能薬を5個。」 「毎度どうもー。」 敷物にカート、荷物を適当に並べただけという なんとも質素な露店がプロンテラ噴水通りにびっしりと埋まる。 レオンのような薬売り、食料、魔物と戦うための武器や防具、楽器、鉱石、なんでもある。 日が暮れるまでに撤収してしまう店もあれば、夜中までやっているお店まで。 ルーンミッドガツ王国の首都プロンテラは朝も夜も眠らない。 今日もほどよくポーションが売れた。 ユミィはうまくお使いができただろうか。 さすがにサイズ違いのポーション瓶は買わなくなったが、 セルーや魔女砂、少し珍しいものを買いにいかせるとよく間違える。 まぁ、一度の量はたいしたもんじゃないから、ユミィの教育費だと思えばいいだろう。 夕暮れ時だ。まだまだ噴水通りには人通りが多い。 レオンは少しずつシートに広げていった荷物を片付け始めた。 そろそろ撤収して、たまには部屋でくつろぐかな。 できたら青ポーションだけは完売して欲しいけど…。 「それ…、20個ほどもらえますか。」 「…?」 バスケットに積まれた青ポーションを指差してサイフを広げているハイ・プリーストは たしかにレオンの知っている声だった。顔も髪型もかわってしまったが、 レオンはこの女性のことをよく知っている。 レオンはとりあえず商売のため、青ポーションを袋に詰め、彼女に渡す。 つり銭を勘定して渡す、その時…。 互いの視線が合う。 互いの思考がとまる。 「…!」 ハイ・プリーストの女性はレオンの瞳を見つめたまましばらく動かなかった。 にわかに信じがたいという表情をしていた。 「…レオン…?」 すぐにその女性はレオンの名前を口にした。 何年も会っていなかったが、瞳の色は今も変わらない。 …失くした妻、アリアがそこにいた。 「ひさしぶり…。」 アリアはレオンと別れた後、砦を守る仕事から離れ、 付近の魔物討伐隊の一員として活躍していた。 支援職としてのスキルも磨いたようだ。 レオンはアリアの掌を見て、その戦いの暮らしっぷりがよく分かった。 形の変わった爪、傷だらけの甲、ひとまわり太くなった指。 顔つきまで変わって、まるで、お母さんになったかのようだった。 「ハイプリーストになったのか。」 「うん…。あれから砦を離れて、別のギルドのお世話になってたんだ…。 ハイプリーストの試験は2回くらい受けて、去年受かった。」 ハイ・プリーストというのは戦いの後方支援をするジョブの中で、 過酷な修行に耐え抜いた者だけがなれるという。神の加護によって支えられたその力は 傷ついた兵士を治癒することから悪魔退治まで絶大な威力を発揮する。 2人は、露店のにぎわう噴水通りでしばし語らった。 別れてからの道筋、旅先での苦難、新しい職についたレオンは、その経歴などを…。 かつての思い出話にも華が咲いた。 なんせ会うのは7年ぶりだ。 顔つきまで変わるほどの長い時間。なにがあったのか、語らずにはいられない。 レオンは時間も忘れて彼女と語り続けた。 露店のセットを片して噴水通りの脇に場所を移し、また語らう。 思えばひどい別れだった。 戦いから身をひいて家庭をつくりたかったアリアは何度もレオンの出撃に抗議した。 そして、レオンに意見を変更する気がないということを知ると 日に日に2人の意見は合わなくなり、食事も別々に取るようになった頃には、 夜も別々に布団を敷いて、お互い背を向けて寝た。 そしてある日大喧嘩をした2人は、口も聞かなくなり、次のアリアは何も言わずに部屋を出た。 旅先で別の男性と知り合ったアリアはその場でレオンに1通の手紙を書いて送り、 そのまま家に帰らなかった。 すべてが終わった後で、反省したレオンは彼女に会えそうな場所を何度も探したが、結局会えず、 ひとりで部屋で待つしかなかった。 待ち続け、泣き続け、諦めるしかなかったあの頃。 レオンはアリアを恨み、嘆き、そして失望した。 彼女にとって俺は、その程度の存在でしかなかったのかと。 あぁ、だがこうして再度会ってみると、そんな過去の悲しみなど忘れてしまう。 大切な人が生きていた、生きてまた会えたという歓喜の感情だけがレオンの心を覆い尽くした。 生きてまた会えたというだけではない。 彼女は、レオンと共に戦った過去の経歴をしっかりと今に生かし、パーティを支えているという。 別れても、長い時間が経っても、レオンの心がアリアの中で生きていた。 彼女の話を聞くたびに、レオンはそれを確信した。 2人の出会いは、無駄にはなっていなかったのだと…。 レオンは、うれしさで涙が出そうだったが、必死でこらえた。 かつて、自分はアリアを含む、砦防衛メンバーの筆頭だった男。 部下の前で涙は流したくない。 アリアは、そんなレオンとは対称に強くなっていた。 うれしそうに過去から未来にかけての話をするアリアの口調はとても悠々しく、 どこかのギルドのリーダーと話をしているかのようだった。 日が暮れ、場所をプロンテラ西の酒場に移したころには、すっかり2人は打ち解けていた。 バカな話のひとつも思い出す。出会ったころの初々しさ、アリアの初陣、 砦防衛が終わった後、高い塀の上に昇って夜が明けるまで語らったことなど…。 この、長い時間を一緒に過ごした人に、今の自分を見てもらいたい。 今の自分の成長を見つけて欲しい。そして、認められたい。 話がますます加速する。酒がとめどなく口に注がれる。 意識が酩酊し、高揚する。思えば酒を飲むのも何年ぶりだ。 だが、この高揚感に身を任せていることが、何故かこわくない。 隣で飲んでいる相手は、かつて自分が一番信用できた相手だから。 …ぶざまに酔い潰れてもいい。 醜態をさらしてもいい。 バカになりたい…。 真夜中のバー、カウンターの上に何本酒瓶がころがっただろう。 アリアはふらふらになるまで酔っ払い、 レオンも朧げな意識のままバーのマスターにカネを払い、店を出た。 外に出た2人は、そのまま西門近くの裏路地を歩いた。 火照った体に冷たい風が心地よい。 見慣れた景色。だが、連れて歩く相手が違えば、景色さえ変わって見える。 静寂の中、時間はゆっくりとすぎていった…。 ぽっかりと欠けた月が、澄み渡った夜空の中、佇んでいた。 レオンは、そのままアリアの滞在しているプロンテラ西のホテルに連れられ、荷物を降ろした。 ふと、泥酔で混濁した意識の中、ユミィの待つ顔がレオンの脳裏によぎった。 だが、アリアとの再開によるうれしさと懐かしさ、そして愛おしさがレオンの良心をかき消した。 ストレートに「ここで帰る」とは、言えなかった。 アリアは重苦しいプリーストの衣装を脱ぎ捨て、部屋着へと着替える。 久しぶりに見たアリアのボディーラインは、あの頃と何も変わっていない。 少々ごつくなっても、女性らしいしなやかなラインは、保たれていた。 アリアは木製のコップに2人分、冷たいお茶を入れてベッドサイドのテーブルに置いた。 プリーストらしい、優しい気遣いだ。 アリアはレオンの真隣にドシリと音を立てながら座り、その肩にもたれた。 酒場では分からなかったアリア独特の匂いが、レオンの嗅覚に伝わる。 肉質感のあるカラダ、そしてなつかしい香水の香り。 アリアを失って以来、ずっと求めていた、大切な人のぬくもり…。 それは、手と手が触れ合う瞬間、互いの体温として胸の奥へと伝わり。 秘めていた熱い想いは、まるでマグマのように全身へと伝わり、互いの心を熱くした。 もう…。 とまらない…。 レオンはアリアの肩を抱き寄せ、そのぬくもりにすがりついた。 次の瞬間、2人の唇はあたりまえのように触れ合い、 脱力した体と共に、ベッドの中へと倒れこんだ。 ユミィは、おつかいをとうに終え、日が暮れるころには家でハーブを練っていた。 ポーション作りの練習。たまにはレオンがいない時にやると勉強になる。 できたポーションは試作品と分かるように違うビンにつめて、ユミィのサインをする。 サインペンやシールの扱いも、もう慣れたもんだ。 それが終わると、こんどは文字の読み書き。続いて、料理の本を読んだ。 それも終わると、棚から世界地図を持ってきて広げ、各地の地名を調べた。 今日は、夜中になっても、レオンは帰らなかった。 こんな事は、いままで一度もなかったのに。 ユミィはだんだんイライラしてきて、気を紛らわすため外に出た。 外は真っ暗になっていた。 月明かりにコウモリがバタバタと飛び交い、虫たちの鳴き声が聞こえる。 こんな時間に私をおいて何をやっているんだろう…? ユミィは不安と恐怖を押し殺して、噴水通りを見に行った。 レオンがいないことを確かめるとまた家に戻り、 時間を置いて、また家の外を見に行った。 臨時募集広場や、プロンテラ城前。2人で一緒に露店を出した場所。 大聖堂や、騎士ギルドの前まで足を運んでみた。 人影はまばらになり、噴水通りには警護の兵士たちが並び始めた。 だが、ユミィは、こんな時間にひとりで町を歩いたことはない。 レオンと一緒なら怖くなかった場所なのに、ひとりで歩くと別世界に感じた。 すれ違う人が怖くて、ユミィはふるえた。 家に帰ったら帰ったで、レオンがいなくて、静かな部屋がものすごく怖かった。 ユミィはだんだんべそをかきはじめて、いてもたってもいられずに、また部屋の外へ出た。 涙をこぼしながら、噴水通りをひとりで歩いた。 不安で、クマのぬいぐるみを1つ家から持ち出して、 ずーっと南門の内側で座り尽くした。 ふいに、消えてしまったリーフの顔がよぎった。 わたしもレオンがいなくなっちゃったらああなるのかな…。 恐怖が、リアルにユミィの思考の中で再現された。 警護の兵士たちも、遠目でユミィを心配していた。 まぁ、こんな街中で他人のホムンクルスに悪さをする人間などいないだろうが…。 ユミィは、気でもふれたようにプロンテラ噴水通りを南北に往復した。 動いていないと気が紛れなかった。 クマのぬいぐるみが、ユミィの涙で濡れていった。 また部屋に帰った。レオンはいない。また外へ出る。 歩くのにも疲れると、ユミィはプロンテラ中央噴水の真下に座り込んで泣いた。 わたしをこんなに泣かせたんだから、帰ってきたら何か埋め合わせをさせないと気がすまない。 夜が明けるまで、ユミィは噴水の音で気を紛らわした。 スズメが噴水通りの道具屋の屋根の上に何匹も止まり、エサやりの時間を待つ。 チュンチュンという声が何重にもハモって聞こえるプロンテラの朝。 ユミィは、とうとう中央噴水のレンガに腰掛けたまま、夜を明かしてしまった。 途中、なんどか意識が飛んだのか、ある時間から、ある時間にかけての記憶が残っていない。 季節はそれほど寒くはなかったが、慣れない野宿と、一晩中歩き続けた疲労で、 ユミィは体中に変な悪寒と痛みを感じていた。 ふいに、ユミィは自分の手の平をじっと眺めた。 まだ、体が半透明になったり、瑞々しさが失われてたりするような現象は現れていない。 そもそも、何年も愛情を注がれ続けたホムンクルスが、そう簡単に消えたりはしない。 たった一晩、レオンが家に帰らなかっただけ。 だが、実質まだまだ少女から抜けきっていないユミィにとって、 一晩という時間は、とてつもなく長く感じた…。 ユミィは重たい腰を持ち上げ、パッパとホコリをはたいて周囲を見渡した。 朝から露店を開く商人たちがまばらに出てき始め、プロンテラ噴水通りが賑わう。 (この中に、レオンがいるのかな…?) バカみたいに、いるはずのない主人を求めた。 コートや帽子の似ている男性が、みんなレオンに思えた。 あの人もちがう、この人もちがう。 昨晩の続きが、またはじまった。 いったん家に帰り、レオンが帰っていないことを確認すると、 またユミィはプロンテラの町をひとりで歩いた。 もう、疲れも、せつなさも、最高潮だ。 他になにをする気も起きない。 ただ、レオンに会いたかった。 触れ合う掌の感触が、いつもと違う。 腕にまとわりつく髪の感触が、いつもと違う。 (あれ…ユミィ、いつのまにこんなにデカくなったんだ…?) レオンはひどい頭痛にうなされながら、はれぼったい瞼を開けて周囲をみまわした。 プリント柄のない、無地のシーツ。美しいブロンドの髪。 となりに寝ているのがユミィでないことに気づいて、レオンは顔色が真っ青になった。 昨晩、アリアと再会して、思い出話に華が咲いて、 プロンテラ西の酒場でバカみたいに安いウィスキーをあおった所までは覚えている。 いや…正直にいうと。アリアの肌の感触から、口でしてもらった時の唇の感触、 突っ込んだ時の膣壁の濡れ具合までしっかりと覚えている。 はじめての浮気。ほんとうの浮気。 …なんてことをしてしまったんだろう。 レオンは、家で待っているユミィの顔を想像したら、目の前が真っ暗になった。 そもそも、レオンはユミィが生まれてから、外泊など一度もしたことがない。 毎日ごはんを食べさせて、風呂に入れて、服を着替えさせて…。 一瞬でも目を離すと、なにをされるか不安で仕方がなかった。 ユミィが大きくなって、ひとりの女性として自立するようになって、 ようやく対等になれたと喜んでいた矢先に…。 緊張の糸が切れて、油断へとつながった。 早く、帰らないと。 …とはいえ、アリアをこのまま放置して逃げるわけにもいかないし…。 とりあえず、すっぱだかのまま、べっとり自分に張り付いて寝息を立てているアリアが、目の毒だ。 レオンはアリアに気づかれないよう、ゆっくりと身を起こして、服を着た。 なにくわぬ顔をして、紅茶を2人分用意して、アリアを揺り起こす。 「おはよう…。」 はじめて結ばれた恋人のような顔をして、アリアが目覚める。 おはようのキスを求められそうだったので、レオンはさっと身をひいた。 木製のチェアに腰掛けて、アリアの視線を遮るかのように、バサッと新聞を広げた。 アリアは意地悪をするかのように、下着姿のままレオンの横にまわりこんだ。 そっと肩の上に両手を置いて、顔を耳たぶの隣まで持ってきて…。 不意に横をむこうとしたレオンに噛み付くように、強引に唇を奪う。 「…。」 「勝った。」 「…なにが勝ったんだよ…。」 「なにかしら?」 なにもかもお見通しのようなセリフが、満面の笑みから放たれる。 アリアはレオンの向かいの椅子に腰掛けて、紅茶をすすった。 「朝ご飯、頼もうか?」 「いや…。これを飲んだら、ここを出るよ。」 2日も家を開けたら、それこそユミィが山狩りでも始めかねない。 アリアは、不満そうな顔をしながら紅茶を飲み干すと、脱ぎ散らかした自分の服を拾い始めた。 「送っていくよ。このへんに住んでるんでしょ?」 「ん、ああ…。」 2人は軽く荷物をまとめると、ホテルのロビーへチェックアウトしに行った。 アリアはレオンの腕の袖だけ、つまむようにしてついてゆく。 ヤル事だけヤッて、離れて歩けとは、言えないし…。 ホテルから外に出ると、太陽はもう真上まで昇っていた。 プロンテラ噴水通りは露店やらギルドの徴兵やらでごった返して…。 とにかく、周りの視線が気になった。 このあたりで露店を出してる商人の多くは、レオンがユミィと毎日べたべたしているのを知っている。 「また、会えるよね…?」 「あぁ…。」 2人はなんとなく、お互い顔を合わせずに、まっすぐ前を見ながら歩いた。 プロンテラ中央噴水から、南門へのわずかな道。 人ごみをかきわけながら、それでも離れず、なるべく並列して歩いた。 「それじゃあ…ここで。」 「え…。」 さすがに、家のそばまでは案内できない。 2人でいるところをユミィに見られたら、それこそユミィの心に追い討ちをかけてしまう。 「いつも、このへんで露店を出してる。詳しいことは、その時話す。」 「…?」 「また、会えるから。必ず、会えるから…。」 レオンはアリアを軽く抱き寄せて、その場で別れることにした。 だが、アリアはレオンの不可解な行動が納得できない。 「家の場所くらい、教えてくれたっていいじゃない。 なにも知ったからといって、悪さをしには行かないわ。」 「わかってる。でも…。」 どう、振り切っていいか分からなかった。 正直に今の自分のパートナーについて話すか、うやむやにしておくべきか…。 モタモタしてしまう自分にイライラした。 レオンは、一瞬振り返って、我が家の方角に目をやった。 すると、ずっと遠くのほう。 雑踏をひとつふたつ隔てて、白塗りの壁にもたれるようにして、 ユミィがこちらを…見ていた…。 これまでに見たことのない、すさまじい形相だった…。 怒っているとも、悲しんでいるとも、捉えようのない、恐ろしい表情だった。 いったい、いつから、気づいていたんだろうか…。 あらゆる最悪の事態が、レオンの脳内でシュミレートされた。 振り切りそうな脈拍、逆流する血液…。 遠ざかってゆく意識の中…。 ユミィは一瞬冷たい視線を放つと、ゆっくりと踵を返し、 そのまま雑踏の中へと、消えた…。 「………。」 「レオン?」 アリアがレオンの顔を覗き込んだ。 だが…ここは、アリアを気にしている場合じゃあない。 「…また、会おう。」 「ちょっ…レオン!」 レオンはアリアを振り払って、噴水通りを駆けた。 早く、帰らないと…。早く帰って、ユミィにあやまらないと…! その時ばかりは、噴水通りを闊歩する団体がうっとうしかった。 いつも暮らしている2人の部屋。 カーテンは閉まっていたが、ユミィの影が見えた。 急いで部屋に帰ったのはよかった、ドアのノブをまわすのが非常に怖かった。 ユミィはもはや普通の人間の女の子と変わらない。 浮気をすれば悲しむだろうし、怒りもするだろう。 キィ…。 勇気を出してドアノブをまわす。 カギはしまっていなかった。 最悪、部屋にさえ入れてもらえないことを想像していたが…。 ドアを閉めてきしむ床にあがり、部屋の中へと入る。 ユミィは部屋のすみっこで縮まるように、脱力していた。 顔は、うつむいていて表情をうかがうことはできない。 「ごめん…。」 まず、謝った。 無断で外泊したこと、そして浮気したこと。 完全に自分が悪い。 謝ったけれど、反応がない。 寝ているんじゃあないかというくらい、静かにうつむいていた。 「…。」 ユミィに近寄る。ひっぱたかれてもいい。 レオンはそっとユミィの肩に触れ、上体を起こそうとする。 レオンの意志がつたわったのか、ユミィは自分から上体を起こしてレオンの瞳を見つめる。 涙は出ていなかったが、頬には泣き尽くした跡があった。 瞳は充血していて、まぶたは腫れぼったかった。 さきほどの怒りに満ちた表情は消え、疲れ果てたような様子だった。 昨晩から、こんな顔をして待ち続けていたんだろうか…。 「どうして昨日、帰らなかったの…?」 「……。」 ようやく、クチをきいてくれた。 レオンは長考した。すべて、話さないといけない。 レオンは、いままで、アリアの存在をユミィには語らなかった。 愛する者に逃げられて、ぽっかり空いた胸の隙間を埋めるために、ユミィを創り出した。 何も知らずに生まれてきたユミィに、そんな事は言えない。 「別れた妻に再会して…昨日は彼女と一緒にいた。」 ひとまず正しい答えを言った。 「わたしがどんな想いをして待っていたか、考えてくれた?」 冷静に放たれることばが、レオンの胸に突き刺さった。 レオンは、昨晩、ユミィのことを何も考えてなかった。 アリアのことで胸がいっぱいで、ときおり頭の中にユミィの事が浮かびはしたが、 無意識にユミィの存在を頭のなかから追い払っていた。 「ごめん…。」 「こんなこと初めてだったから…もしかして死んじゃったんじゃないかとか…。 なにか、大事な事件に巻き込まれたとか…心配したのに…。」 「…。」 「心配して、損した。」 「ごめん…。」 レオンはただ謝るのみ。 ユミィが長いこと沈黙を続けると、重い空気がその場に立ち込める。 「さっき、女の人と一緒に歩いているのを見たけど、あの人がそうなんだね。」 「ああ。」 「一緒にいて、何をしてたの?」 「露店中、再会して…。店をたたんだ後、一緒に酒を飲んで…。」 「…それから?」 「…。」 「…それから?」 「ん…。」 「ハッキリ答えて。」 「…。」 レオンを質問責めにする。 ユミィはまっすぐレオンの瞳を見据えて、真実を受け止めようとする。 「一晩中帰らなかったんだから…何を聞かされても驚かないつもり。」 「…一緒に宿に泊まって…。」 「…。」 「一緒に宿に泊まって、一晩過ごした。」 …それ以上先は、言えなかった。 「…そっか。」 ユミィはすっと立ち上がり、冷めた紅茶を手にとった。 また沈黙が続く。 「…わたしはあの人の、代わりだったの?」 「…いいや。」 「わたしはあなたにとって、なんなの?」 「…。」 「…こたえてくれないの?」 「…家族、だよ。」 「それは、女として? …それとも、それ以外?」 「女として、恋人として。」 「じゃあ、なんで、違う女の人と、セックスしちゃうの?」 「………。」 「寝たんでしょ! 一緒に! ハダカになって! レオンの顔から、女の人のにおいがしたもん! ふだんあたしにしているようないやらしいことを、あの人にもしたんだ!」 「…あぁ。」 「…!」 ユミィの目つきがガラリ変わった。 怒りに満ちていた。 眉間にはシワがより、にらむような視線のままズカズカと近寄ってきた。 …なにをされてもいい。 レオンは無抵抗で、床に座ったままだった。 バチン!! 「……!」 バチン! バチン! バチン! 強烈な平手打ちが4発、レオンの顔面をとらえた。 人を叩いたことのないユミィらしく、叩く場所など考えずに無造作に4発。 敢えて避けなかった。これが、彼女の気持ちなんだから。 「愛してくれるって言ったのに…。」 「おれは君を愛して…。」 「最低! 最低! 大嫌い!! あたしはあなたの道具じゃないんだ! 生きてるんだ! 心だってあるんだ!! 都合のいいときだけ可愛がって、 必要なくなったら放置するんじゃ人形と同じじゃない!!」 「…お前……!」 バチーン!! 振り向きざまに1発。 とうとうグーで殴られた。 「最低。」 彼女はゆっくりと玄関へ歩き、ガチャリとドアを開ける。 冷静な顔にもどってこちらを見ると、吐き捨てるように一言言った。 「…ちょっと頭冷やしてくる。」 バタン。 壁にかけてあった麦わら帽子を奪い去るようにひったくると、 ろくに身支度もせずに、ユミィは部屋を飛び出していった。 コツコツと石畳を駆ける音が、レオンの耳に痛く響いた。 |
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