LEAF〜麦わら帽子のホムンクルス〜
ユミィはブラブラと、臨時募集広場から、隣町のイズルードまで散歩をしにいった。 勢いあまって部屋を飛び出したはいいけど。 ポケットの中には返さなかったおつりが2600z、 これっぽっちでどこにいこう? 「あたまを冷やしてくる」と言った以上、 すぐ部屋にもどるのもカッコ悪いし…。 イズルードとプロンテラの間は、強いモンスターがまるでいないため、 行商人やらギルドの溜まり場になっていることが多い。 カップルなんかとすれ違う事もあって、今日はそれがやけにうっとおしかった。 つい昨日まで、私たちもああやってべたべたして歩いていたのに。 も〜、しばらくレオンとは一緒に寝てあげないんだから! …くやしい、くやしい! レオンのばか、レオンのばか。 …はっきりと、浮気相手のカオも覚えてる。 長身の、金髪のハイプリースト。 手なんか握っちゃってさ。 別れ際に抱き合ってる所まで見せられて。 なによりくやしかったのは、 背伸びしないとキスも届かないユミィに対して、 浮気相手の女性はレオンと一緒に歩いてとってもお似合いだったこと。 それが、別れた前の奥さんだと聞いて、ショック100倍…。 そりゃあ、お似合いだよね…。 長い、蛇行した石橋を越えると衛星都市イズルード。 各町へと船が出ているほか、剣士の転職試験場などがある。 ユミィにとっては、ここに来るとレオンに買ってもらえる果物がお楽しみだった。 街の中心には、円を描くように食品店が並ぶ。 歩きつかれておなかが減った。 とりあえず、サンドイッチでも買おう。 港の埠頭に腰掛けて、ゆっくり海を眺めながらサンドイッチをかじった。 潮風が頬を撫でて、心地よかった…。 「ファロス灯台行きの巡航船、出発ー!」 船員たちの威勢のいい声がこだまする。 ファロス灯台はプロンテラから遥か南西、モロクの更に先だ。 ヒマつぶしに読んだ世界地図は、ほとんどユミィの頭にインプットされている。 (船でも乗ろうかな…?) 船代は500z、レオンの売ってるポーションの値段に比べると格安だ。 サンセットクルージングのつもりで乗って、日が暮れたらレオンの所に戻ろう。 ボーッという音とともに、蒸気船が出発した。 このときはまだ、レオンのところに帰りたいという気持ちが十分あった。 夕日が水平線に近づくにつれ、水面に美しい煌きが映る。 空はオレンジ〜パープルのグラデーション。 飛び交うカモメたちが、ときおり船の側を通り過ぎた。 レオン…心配してるかな。 甲板の上に座って夕焼けを眺めていたら、なんだか涙が止まらなくなってきた…。 レオンに対する怒りはおさまったものの、自分に対する自信がなくなってきた。 背丈もない。美しいプロポーションもない。女性としての役割も果たせない。 こんな自分は…レオンになにをしてあげられるだろう。 あるのは女の子としての外観と、ぬくもりだけ…。 レオンは私に、「愛してる」って、言ってくれた。 「一緒にいて幸せ」だと、言ってくれた…。 でも、本当は…。 人間とホムンクルスが愛し合うなんて、おかしいんだ…。 人間が人間と愛し合うのがごく普通で、それができるならそれに越したことはないんだ。 私は、期限付き。レオンの心の隙間を埋めるため存在して、 そして、役目を終えたら…消えなきゃあいけないんだ…。 レオンと一緒に歩いてた女の人、とても綺麗だった…。 レオンがあの人と一緒になれるなら…。 私はいないほうが、いいよね…。 身に巻かれた装身具、アクセサリ。 かわいい服に、子供のころから大切にしていた麦わら帽子。 栄養のよく通った肌は髪、透き通るように綺麗だけど…。 こんなもの、何もいらないから…。 人間のからだが、欲しい…。 私に人間のからだがあったら…。 レオンのことひっぱたいてでも、自分のほうに振り向かせるけど…。 人間に生まれたかった…。 人間として愛されたかった…。 太陽が水平線の下に沈むと、空はおどろおどろしい紫と青のグラデーションに変わり、 甲板の上には炎が灯された。 乗客は、簡単な作りの椅子とテーブルに腰掛け、酒をあおる。 ファロス灯台は、まだまだ先なんだろうか…。 「そんな所に座り込んでないで、こっち来て飲んだらどうだい。」 白髪の、おじいちゃんに声をかけられた。 見た目年齢70歳くらい。服装はくだけた感じだが、落ち着いた雰囲気で、 ジェントルメンという響きが似合う、いでたちだった。 くたびれた大型犬が、テーブルの下でくつろいでいる。 ナンパかな? ユミィは笑いながら、首を横に振った。 とてもとても、見知らぬ人と食事をする気にはなれない。 ザバザバと船が波を避ける音を聞きながら、ユミィはずっと遠くを眺めた。 これから、どうしよう…。巡航船に乗ったままイズルードに戻れば、 今日中にレオンのいる部屋に戻れる。 部屋に帰れば、また謝ってくれるだろう…。 そして、仲直りして…。 抱きしめられて…。 きっと、いつもと変わらない暮らしが待っている。 けれど、それじゃあなにも変わらない…。 空を貫くような光が、遠い地平線の向こうから放たれているのが見えた。 おそらくはあそこが、ファロス灯台だ。 黄昏時から日が沈むまで船の上にいたが、それほど長くは感じなかった。 とりあえず、ここで降りて…。宿に泊まって。 そこから先のことは、また考えよう。 すぐに部屋に帰りたいという気がしなかった。 船は、ファロス灯台に到着した。 辺りは、完全に夜の闇につつまれた。 ユミィはひとり船を降りて、 遠ざかってゆく船を、しばらく見ていた。 (あぁ、完全に、家出しちゃったな…。) イズルードへの船は、今日中にはもう来ない。 いいんだ。レオンも黙って部屋をあけたんだ。 私だって…。 振り返って、灯台の下に広がる街を歩いた。 申し訳程度のお店と、宿もあった。 石畳の地面からは雑草が噴き出すように生え、そこかしこにヤシの木が並ぶ。 灯りはたいまつを大きくしたような質素なもので、 街から1歩外れると、真っ暗闇になっていた。 人影はまばらで、行商、観光客などがいた。 白塗りの壁の、やや小さめのホテルがあったので、そこに泊まることにした。 観光客は、みなそこに泊まっているようだった。 ひとりでチェックインして、部屋に入り、荷物を降ろした。 窓を開けるとほどよい具合に海岸が覗け、心地よい香りがした。 隣の部屋は、家族旅行だろうか。 元気な子供の声と共に、ドシンドシンと走り回る音が聞こえた。 それをしかる母親の声。 何も、聞きたくない。 ユミィはベッドに倒れこむと頭まで毛布をかぶり、眠りについた。 目が覚めるとファロス灯台の空はカッと暑かった。 ホテルの窓をバッと開けると吹き込む心地よい風。細波の音。 下を眺めると、売店やレストランがオープンしていて、 まばらだが客も何人か入っているようだ。 ユミィは巾着袋と帽子だけサッと身につけ、早めに宿を出た。 愛想のないフロントの従業員、物珍しげにこちらを眺める宿泊客。 一人で泊まる宿なんて、楽しくもない。 宿を出たユミィはぺたぺたと砂地の地面を歩いて船着場へと向かった。 焼けた石畳がヒリヒリと、足の裏を刺激する。 イズルード行きの巡航船は2時間後。 炎天下の下でこの船待つのは骨が折れそうだ。 (…レオン、いまごろひとりでご飯食べてるのかな?) とっさに愛する人の横顔が、脳裏によぎった。 いまごろ、血眼になって、私のことを探しているかな? それとも、すぐさま別の女性と会いに行ってしまったかな? 彼にとって、わたしの存在は、どれだけ大切だったのかな? かりにレオンにとって私がとても大切な存在だったとして、 やはりレオンはそれでも別の女性を抱いたかな? …わたしには、そんなことできない。 ひとりで考えれば考えるほど、心のダメージは大きくなった。 考えれば考えるほどに、帰るのがイヤになった。 一途にレオンを愛し続け、裏切られたことに対するくやしさがひとつ。 自分に対する自信のなさがひとつ。 そして、人とホムンクルスが愛し合うということに対する抵抗感がひとつ、それぞれあった。 このまま、何日も帰らないで、完全にレオンの前からいなくなっちゃおうかな? バカな考えにまで、頭がまわってきた。 ホムンクルスにとって、それは死を意味する。 だが、不思議とユミィは、死に対する恐怖がなかった。 ホムンクルスはもともと、純粋な生物ではない。 どちらかというと、魔法生命体というニュアンスが正しい。 食事をとり、恋をし、子孫を育てることが目的の、自然界の生き物とは根本的に違うのだ。 ホムンクルスにとって、生きがいとは、主人に尽くし、主人に愛されること。 主人に必要とされなくなったホムンクルスは、自らが存在する意義を失う。 だが…。 ホムンクルスに、自害という選択肢はない。 完全に消えるそのときまで、生き続けなければいけない。 ある者は主人に再度愛されることを望みながら。 ある者は主人に与えられた肉体を、最後まで磨きながら…。 それでも、主人に愛されることを拒まれたなら、そのときホムンクルスは消滅を余儀なくされる。 ユミィは、はっきりと意志の整理もつかないまま、 イズルード行きの巡航船には乗らず、 とぼとぼと、アテもなく荒野を歩いた。 ユミィが部屋を飛び出してから、数日が過ぎた。 おかしい、そろそろ帰ってきていいはずだ。 レオンは、露店も出さずに周辺の町を訪れ、 ユミィの写真を見せては聞き込みをした。 最初にイズルード、そして、ゲフェン。 さらに国境都市アルデバラン。 だが、どこに行ってもユミィに関する有力な情報はつかめなかった。 ユミィはゲフェンの街で生まれ育ち、そして首都プロンテラへと移住した。 ほかに、レオンと共に行動した場所は、ファーマシー材料を買うために訪れたアルデバランと、 プロンテラのすぐ近くにある衛星都市イズルード。 ほかに、旅行目的で訪れた都市はいくつかあったが、 ユミィがひとりで行けそうな場所といったら、広大なルーンミッドガルド王国の中でもほぼ北半分だろう。 だが、レオンの推測はことごとくはずれ、捜索はカラ振りに終わった。 ただでさえユミィが家出して話し相手がいなくなってしまった上に、 見ず知らずの人間相手に聞き込み調査。 最終的にアルデバランでの聞き込みが終了するころ、レオンの疲労は相当なものになっていた。 お金には余裕があったものの、歩き慣れない遠くの土地をひとりで調べてまわるのは、 ユミィがいて当たり前の生活をしていたレオンにとって、かなりの重負荷となった。 旅先で宿屋に泊まるとき、灯りを消して布団に入る瞬間、ついつい自分の右隣を手探りで探してしまう。 抱きしめる対象がそこにいないから、落ち着かないのだ。 レオンは男ながらに、愛情を断たれるということの痛みをぐさぐさと味わうハメになった。 プロンテラへと帰還したレオンは、まっさきに自分の部屋へと戻り、 ユミィの不在をたしかめた。 ベッドの上には散らかったパジャマ。床下に転がるティーカップ。 ユミィが部屋を飛び出したときと、なにも変わっていない。 レオンはひとまず散らかった部屋を片付けて、ユミィのパジャマを枕元にたたんで置いた。 そして噴水通りの行きつけの店に寄って長期保存が可能な食料品をいくつか買い込むと、 ユミィがいつ戻ってきてもいいように、部屋の中の分かりやすい場所に並べた。 修行時代の本を引っ張り出し、暗い部屋にひとつだけ灯りをともして読み返す。 ページが落ちて乱丁だらけの古書を、ホコリを払いながらベッドの上に広げた。 主人と離れたホムンクルスは、果たしてどの程度の期間生きられるのか? 愛情を注いだ程度にもよるが、どんなに長くても1ヶ月が限度のようだ。 "だいたい2週間も経てば、体の新陳代謝や血流がおかしくなり、病気などを頻発し、 3週間も経てば、体を現世に投影することが困難になり、ゴーストのような存在になる。 そして4週〜5週を待たずに、形を保つことが不可能になり、チリになって消える。" ユミィがいなくなって、今日でもう2週間が経過している。 レオンは本を読み返すたびに、顔色が悪くなった。 いつか帰ってくるだろうとは信じているが、もし帰ってこなかったら…。 心配だ。ユミィがもしとてつもない遠くの土地まで足を運び、迷子にでもなっていたら。 お互いがお互いを探せず、制限時間をオーバーしてしまう。 もたもたしてはいられない。 また、明日からユミィを探しに行こう。 国内北側がダメなら、こんどは南半分を探すまで。 レオンはさっとホムンクルス関係の本を読み終えると、 疲れた体を癒しもせず、朝日が昇るの時間を待った。 翌日…。 レオンは最低限の装備と食料、そしてユミィの写真を懐に入れ、 ルーンミッドガルド王国南東部、山岳都市フェイヨンを目指した。 プロンテラ南に広がる砂漠を通り抜け、大河に沿って南東へ進むと、 古木のモンスター、エルダーウィローやお化けキノコのスポア、 ウルフやスネイクの棲息する森がある。 山岳都市フェイヨンは、その森の向こうだ。 直感的に、ユミィが生きているという確信だけは持てた。 ホムンクルスと主は、部分的にだが、魂の一部を共有している。 だから、ユミィが傷ついたりしたとき、レオンも体の同じ部分に違和感を感じるのだ。 ユミィは生きている。 だが、いくら魂を共有しているとはいえ、 ホムンクルスと主人はテレパシーなどで意志の疎通を行うことはできない。 意志の疎通を行うには、人間同士の会話と同じように、直接会って、話し合うしかない。 もう、十分に反省をしている。 きちんと話して誤解を解き、また今までと同じ生活を送りたい。 レオンは時折ユミィの写真を見ては自分の心を勇気づけ、長い長い旅路を急いだ。 乾いた砂の匂いと、熱帯植物特有の、情熱的な香りがユミィの鼻を撫でる。 モロクの夕方は、果実や食料品の販売店、 宝石商、衣服や武器の流通商、珍品を扱う店、 その他多くの商人たちの露店が並ぶ。 砂漠の都市、モロク。ここでユミィは、新しい生活を始めていた。 モロク南西部に佇む小さな酒場。ここが今のユミィの職場。 今夜も酒場で使う食材の買出しを、マスターと一緒に行う。 ここで働くことになったきっかけは、ファロス灯台から東のモロクに流れてきたとき、 ちょうど所持金が尽きかけていたから。 ホムンクルスといえど、食事は取らないと生きていけない。 食事にさえありつけるなら、別にどんな仕事でもよかった。 酒場で働くことを決めたことに、特別な理由などありはしない。 …レオンの部屋に戻らないと決めたうえで、残された時間を過ごす場所がほしかっただけだ。 マスターは、白髪の紳士といったご老人だった。 もうすっかり体力は衰えていたが、まだまだ仕事の腕は衰えていない。 そして、マスターの奥さん。入店まもないユミィ。 従業員はわずか3人、席数12席の、本当に小さな店だ。 来るお客さんも、マスターくらいの年齢の人が多く、 とても若い客がバカ酒を食らうような店ではない。 マスターも、マスターの奥さんも、ホムンクルスのホの字も知らないような一般商人。 2人とも、ユミィのことを、ちょっと髪の変わった女の子程度に捉えていた。 老夫婦には2人の子供がいたが、2人とも大きくなって、 首都プロンテラに出稼ぎにいってしまったらしい。 それゆえ、いままで2人きりで生活していた酒場の老夫婦は、 ユミィのことを孫娘のようにかわいがってくれた。 ユミィは、慣れない仕事にはじめのうちこそ手間取ったものの、 仕事をおぼえるペースは決して遅くはなかった。 扱う品物が違うとはいえ、接客業という点では薬屋も酒場も同じだ。 グラスをさわる慣れない手つきと、なぜか慣れた接客態度。 これがミスマッチで、ユミィはたちまち酒場の人気者となった。 ユミィにとって、新たに仲間と呼べる存在ができた。 だが、ユミィにとって、あくまで主人はレオン。 主人を、誰かに代わってもらうことはできない。 レオンからの愛情を断たれたら、ユミィはいずれ消える。 ユミィは…自分の将来を不安に思いながら、それでも一生懸命働いた。 子供サイズのエプロンを、毎日たくさん汚して。 仕事が終わった後は、店舗2階にあるマスターの家の部屋を一部屋借りて、 くたくたの毛布にくるまれて眠った。 束の間の…充実した日々が過ぎた。 カランとドアベルが鳴ると、いつもの馴染みの客が訪れる。 今日の最初の客は、モロクの宝石商のお偉いさんだ。 常連客で、ユミィにとって、けっしてイヤな客ではなかったが、 無駄にいつも金品をジャラジャラさせているのが受け入れがたかった。 ドシリとカウンター席に座り、葉巻をふかす。 一見偉そうな風体をしているが、横柄な人間ではない。 「ユミィちゃ〜ん。」 猫なで声でユミィにデレデレする。 席に座っておしぼりを手渡される瞬間は、本当に嬉しそうだ。 どうしてこう世の中の男たちは、若い女若い女を欲しがるのだろう。 そういえばレオンも、思い返せば私がまだ子供だった頃から、 私のことを性対象にしていたんだっけ。 ユミィは何人かの客から、たまにアクセサリーや小遣いをプレゼントされた。 あまりにもしつこいセクハラ客には、毅然とした態度で断りもしたが、 基本的には、紳士の来る店だ。 頭に大きなリボン、ネックレス、そしてダンサーのような腕輪を身にまとったユミィは、 レオンと一緒に暮らしていたころと比べ、いくらかけばけばしく見えたが、 ユミィは決して、自分を失ったりはしなかった。 たまに来る若い男性客に優しくされても、決して心は揺れなかった。 正しいと思ったことはしっかりと口にしたし、 嘘や上辺のセリフで客の機嫌をとるようなことはしなかった。 レオンにもらった麦わら帽子と、誕生日にもらったシルバーネックレスは、 ユミィの泊まっている部屋の片隅に飾ってある。 たまに、それを取り出して、部屋の中で一人で着ることはあったが、 それらを身に着けて買い物に行ったり、お店に出たりはしなかった。 どうしてもレオンの事が忘れられない夜は、それらを布団の中まで持っていった。 決意を固めても、悲しいものは悲しかった。 さみしいときは、さみしかった。 ユミィが老夫婦の酒場に住み込んで働いて、2週間が過ぎた。 仕事にも慣れたし、自信もついた。 銀盆にひょいと背の高いグラスを乗せ、スタスタと軽快に歩く。 最初は銀盆にグラスを乗せて持ち上げるだけで苦労したが…。 今日のお客さんは、テーブル席にわずか3人。 夕方日没からオープンして、日付が変わる頃には閉めてしまうマイペースな店だ。 といっても、この家も店舗もマスターのものなので、家賃もないし、 余計な出費さえなければ店がヒマでも赤字はでないという。 ゆったりとした接客と、煉瓦造りの落ち着いた店内。 働く人間も来る客も、非常にまったりしている。 ユミィは入店以来、体調も崩さずうまくやっていたが、 この日、ユミィは体にヘンな悪寒や痛みを感じていた。 ものを触るとき、ズキンと間接に痛みが走ることもあった。 ただの病気か、ホムンクルスとしての身体異常が始まったのか。 わからなかったが、とりあえず耐えた。 痛くても、働くしかなかった。 この土地には、ホムンクルス専用の医者などいないからだ。 店がオープンする前、なんだか風邪のような症状があった。 熱があるような、ないような、全身に寒さとだるさを同時に感じていた。 食事も、食欲がなくてあまり取らなかった。 時間が経過するごとに、症状がひどくなっていったので、 この日は早めにあがらせてもらおうかな? と思っていた矢先のこと…。 カクテルを3つ作ってテーブル席の3人に提供しようとしたときだった。 ガシャアン! バランスを派手に崩して、ユミィはその場に倒れこんだ。 なにが起きたのか分からなかった。 運が悪かったというか、ちょうど倒したグラスをクッションに転んでしまったせいで 左手の手のひらと上腕の一部をザックリ切ってしまった。 この日、ユミィはすぐにマスターの手当てを受け、部屋まで送ってもらった。 ガラガラとシャッターを半分閉める音がすると、ふっと部屋の外が暗くなる。 マスターが店の外の明かりや看板を片付けると、 またガラガラとシャッターが閉まる音がして、酒場は閉店となる。 ユミィは、鏡の前に立ち、おそるおそる自分の体をながめた。 部屋に灯りはつけておらず、月明かりだけが頼りだったが、 はっきりと自分の体の異常を認識できた。 左手、そして左足、右足首、 ほんとうにごく僅かな箇所だったが、半透明化した部分があった。 違和感や痛みを感じるのもこの部分だった。 とうとう来たか、という感じだった。 昨日からだろうか? 今日からだろうか? 始まったのはいつからだろうか? 働いているときは、自分の異常に気付けないでいた。 明日には? 明後日には? もっと酷くなっているのかな? どのくらい酷くなるのかな? もちろんユミィ本人は、それほどホムンクルスの知識に詳しくはない。 自分がそろそろ消える。それだけは分かっている。 だが、それがいつどんな風に? ハッキリとは分からない。 それが、むしょうに怖かった。 それから、しばらくユミィは、酒場の仕事を休み続けた。 透明化が一度始まると、それはおそろしい速さで全身に広がっていった。 2日、3日、数日もすると、健常な部分のほうが少なくなってきて、 残った不透明部分がかえって不気味に見えた。 だが…。 「そろそろ楽になれる…。」 ユミィの心に、あってはいけない安心感が芽生えた。 苦痛に耐えることがつらくなり、 猛スピードで崩壊してゆく自分の体にかえってホッとした。 (天国にいったら…。 こんどこそほんとうの恋人を見つけようかな…。) どうしようもない考えまで持ちはじめた。 ユミィはわずかな食料を部屋にさしいれてもらい、 ほとんど部屋の外にはでなかった。 たまには風呂にも入ったが、マスターや奥さんと鉢合わせしそうなときは、 わざと時間をずらして自分は後から入った。 だが…そんな毎日も、そろそろ限界になった。 働かずに部屋だけ借りているユミィに対し、雇用しているマスターのほうが抗議をしてきた。 ドンドンと部屋の入り口をたたかれ、とりあえず顔を見せろと催促する。 体調不良なのはもちろんだが、さすがに姿も見せないのはおかしい。 はじめはドア越しに会話をして、なんとかその場をしのいでいたが、それも限界になった。 ドアを叩く音や言葉ひとつひとつが乱暴になった。 当然といえば当然なのだが、だからといって自分の体の症状を ドーンと老夫婦に見せるわけにもいかない。 こんなゴースト一歩手前の今の自分の姿をマスターに見せたら、 化け物かなにかと勘違いされてしまうだろう。 ユミィはドアの鍵をかたくなに閉め、部屋のすみっこで震えた。 こんな極限状態を、あのリーフの女の子も味わったのかな。 でも…あと数日で、この痛みも悲しみも消える。 レオンとの思い出と一緒に…。 夜中。モロクの夜は闇に包まれる。 ユミィはまた、マスターと奥さんが寝たことを確認し、 こそこそお風呂場へと向かう。 もちろん長湯はできない。 ざっと体の汚れを取る程度の、かんたんな入浴だ。 ふしぎと、半透明化した体でも汗をかくし、さわると確かに感触もあるのだ。 だから、たまにはこうして汗を流さないと、非常に不快感がつのる。 鏡を見ると、しおれた前髪。頬のこけた顔。 自分で自分の姿を見ることに耐えられなかった。 こんな姿、とてもレオンには見せられない。 かんたんな入浴を終えると、ユミィは忍び足で自分の部屋に戻ろうとした。 …だが。 ちょうど眠れなくて水を飲みにきたマスター夫人と、廊下でハチ合わせてしまった。 真っ暗な廊下に、地に足の着いていない、半透明状態のユミィ。 「キャアアアアアアアア!!」 まっさきに、悲鳴をあげられてしまう。 「待って! 話を聞いて!」 ユミィは逃げ出すマスター夫人の腕をつかもうとする。 すると、すさまじい衝撃が夫人の腕に走り、生命エネルギーがユミィのほうに流れていく。 まるでゴーストが他人の生命を奪うように、マスター夫人の手から生気が失われていった。 バタン! 夫人の悲鳴を聞いて、マスターがドアの向こうから現れる。 「………。」 さすがに、ユミィに何の弁解の余地もなかった。 床に伏せる、瀕死状態のマスター夫人、 半透明状態のユミィ。 誰がどう見ても、ユミィが夫人を襲ったように見えた。 いきなりマスターはユミィに猟銃を向け、こう言い放った。 「出て行け! さもなくばこの場で撃ち殺すぞ!!」 ユミィは…いきりたったマスターの眼を少し残念そうに見つめると、 部屋から荷物を持ち出して、静かに、部屋を出た。 途方に暮れた。 南東のフェイヨン、その端のアルベルタ、 どこを探しても、ユミィの目撃情報はない。 けっきょく何も手がかりはつかめないまま、レオンは船に乗って、イズルードへと帰還した。 灯りの消えたいつもの部屋。 ユミィが帰ってきた形跡はない。 カーテンはだらしなく半開きになったまま、 テーブルの上には、レオンが出発前に飲んだコーヒーカップが置いたままになっていた。 これ以上家に帰らないということは、ユミィにとって自殺行為だ。 彼女自身も、それは分かっているはず。 分かったうえで帰らないのなら、探しようもない…。 残るは南西の砂漠の都市、モロクのみ。 だが、もうレオンには、彼女を探し出す自信がなかった。 モロク地方は、アルケミストには無縁の土地だ。 騎士時代に何度か訪れたことはあったが、それは何年も前のこと。 地理からしてほとんどおぼえていない。 レオンにとって、ユミィはもはや自分の半身ともいえる存在になっていた。 ユミィがいなくなったら、きっと自分は、輝きを失う。 まるでアリアがいなくなってしまった時のように…。 魂が抜けて、生きがいも夢も感じられない、ガラクタのような人生。 そんな僕に命を吹き込んでくれたのが、ユミィだった…。 夢中で錬金術の勉強ができたのも、商売に精を出せたのも…。 傍らで眠る、ユミィの寝顔があったからだ…。 ユミィを失うわけにはいかない。 ユミィを失ったら、僕は自分自身を失う。 どうしたらいい…。 レオンが床の上に座りつくしていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。 とっさにレオンは目を見開いて、玄関に走る。 ユミィ…! ユミィなのか? …だが、そこに立っていたのは、意外な人物だった。 相変わらず重苦しそうなプリーストの衣装を着たアリアが、そこにいた。 「ひさしぶり…。」 「どうして、ここが分かったんだい?」 「…表札でてるけど?」 「あ…。」 玄関には木彫の表札に、レオンとユミィの名前が載っていた。 かなり昔に彫ったものなので、レオン本人も忘れていたが…。 アリアは驚くレオンに軽く笑いながら、どさりと重そうな荷物を降ろした。 丈夫な布製の袋の中には、レオンが欲しがりそうな各種ハーブや、 製薬材料、珍しい木の根や植物の種などがギッシリ詰まっていた。 「これは…?」 「魔物討伐の戦利品よ。私は持っていても使わないから。」 そういってアリアはハーブの山を、いきなり投げ渡す。 ズシン! アリアがひょいと投げ渡したものなのに、 レオンのほうは軽くバランスを崩して尻餅をついてしまった。 長いこと剣も握っていなかったため、体力すら逆転してしまったのだろうか…。 クスクスと笑うアリア。なんだか自分が情けなくなる…。 だが…。これはチャンスだ。 アリアのハイプリーストとしての能力があれば、ユミィを救えるかもしれない。 レオンは、恥ずかしさを忍んで、アリアにこれまでのいきさつを説明した。 ユミィの存在、彼女を愛してしまったということ…。 彼女の家出のきっかけや、彼女が生命の危機に瀕しているという事まで…。 アリアは話を聞いて、はじめはおもしろおかしく聞いていたが、 話が核心に触れるにつれ、すごく真剣な表情にかわった。 自分が直接関与しているからというのもあったが、 やはり、他人の生命に敏感になれるのがプリーストの条件だ。 「なるほど、ね…。」 アリアはちょっと困ったような顔をして微笑み、その場で考える。 でも、すぐに二つ返事で承諾してくれた。 「その、女の子がもし普通の人間の女の子だったら、 わたしは絶対に手を貸さなかったと思うけど。」 「…。」 「生きるか死ぬかがかかっているなら話は別だわ。」 レオンは早急に準備を終えると、家の外で待つアリアに声をかけた。 アリアは意識を集中し、転送の魔法、ワープポータルの詠唱をはじめた。 カッと強い光がレオンたちを包むと、まるで蜃気楼のように周囲の景色がゆがむ。 行き先は、南西砂漠の都市、モロク。 ユミィ消滅まで、あと数日。 |
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