ガチャリ。 擦りガラスの張られた扉を開くと、そこは遊園地のような円筒形のお風呂場。 浴槽は、その端に三日月形になってくっついている。 天井にはプラネタリウムのような星座が描かれている。 なんとも遊び心の凝ったお風呂だ。 リビングもそうだったが、この家のデザインはユーモアに富んでいる。 お父さんの趣味だろうか…? 僕はお風呂場が2人で入るに十分な面積である事を確認しつつ、 静かに湯船の中に足を浸けていった。 …ぬるい。 アロエちゃんの体温に合わせた設定だろうか。 僕の家はいつも姉ちゃんがガンガンに熱く沸かすから、 普通の人には入れないほどの高温になっている。 そして僕もその温度に慣れているから、銭湯や友達の家でお風呂を借りるとぬるくて仕方ない。 発汗効果や血行を良くするためには、多少は高い温度が望ましいと思うのだけど…。 まさか、この中でいちゃいちゃしてものぼせないため? 思考があらぬ所まで巡ってしまう。 現にアロエちゃんは僕に対して積極的だ。 僕に対して好意を覚えてなかったら、こうしてお風呂に誘う事もなかっただろう。 そして僕もこんな展開を期待してないといったら嘘になる。 …でも、それは置いといて。 いきなり素っ裸になって肌が触れ合ったりするシチュエーションは、全く考えてもいなかった。 緊張のあまり、口の中に唾ばかりがたまる。 擦りガラスの向こうには、おそらくなにも服を着てないアロエちゃんがいる。 いまにも入ってきそうだ。タオルの有無は? どういう向きで? 僕はどういう顔をして彼女を迎えればいい? 考えれば考えるほど刺激の強い展開が脳内でシュミレートされる。 そうしておかないと、予想以上の出来事が起きたとき、対応ができない。 お湯の色は澄んだ無色透明。 向かい合って座ったら、互いの生まれたままの姿が丸見えになってしまう。 ガチャリ。 扉の開く音がした。 僕はうつむいたまま、アロエちゃんが近寄ってくる足音を聞いていた。 真っ直ぐ近寄ってくる。洗い場や鏡のあるほうには見向きもしない。 顔をあげると、バスタオルを巻いたアロエちゃんが僕の目の前に立っていた。 タオルを巻いていても、体のシルエットはくっきりと分かる。 そして、足や肩、うなじなどの部位は隠せない。 「入るよ。」 そういうとアロエちゃんは、潔くバスタオルを剥いで、 浴槽のタブを乗り越えて、僕の隣にすとんと座った。 ザバーッと湯が溢れて洗い場が満たされる。 2人で入ると、浴槽はせまい。 どう距離を保っても、多少は体のどこかが互いに触れてしまう。 僕は、自分の陰部が彼女に見えないように、 ヒザを立てて上体を丸くすぼめた。 恥ずかしい。触れ合う肩から伝わる体温が、 今2人がハダカで触れ合っているという事実を否定できない。 互いに言葉が出ない。 なにか沈黙を破る言葉が欲しい。 「この怪我、こないだの魔方陣のときの。」 「あ…。」 石畳にひっかけた親指の傷が、まだ残っていた。 爪が少し剥げた痕が生々しく赤く染まり、カサブタを形成している。 「あむっ。」 「あ…。」 「舐めとけば治る。」 「ちょっと意外だった、今の行動。」 やった自分も意外だった。 なにかしていないと間が持たないという切迫感からか。 しかし意外と肌というものは、一度触れ合ってしまえば慣れてくるもので、 アロエちゃんは僕に半分体重を預け、肩の上に頬を乗せた。 「肩とか胴回りは、ちゃんと男の子だね。」 「そう?」 「いつも制服越しの姿しか見てないから。」 「これでもちゃんと男の子だよ。」 「腕の太さとか私と変わらないんじゃないかなって思った。」 「比べてみる?」 右腕と左腕をくっつけて確かめる。 しなやかな僕の体は決して男らしいとは言いがたいが、 アロエちゃんに負けるほどじゃあない。 「胸板は…。」 「ちょ、くすぐったいってば。」 「もう少し頑張りましょう。」 「評価低いね…。」 べたべたと触られることにも慣れてしまった。 なんか微笑ましい。 言われてみれば兄弟のようだ。 「背中、流してあげる。」 「うん、お願い。」 長時間浸かっていたせいかクラッとくる。 ぬるめの湯温で助かった…。 「かゆい所はないですかー?」 「ちょ、アロエちゃん。」 「そんなにくっつかなくていいよ。」 「ユウ君が逃げるからくっつかないと届かないの。」 ごわごわした垢落としでガシガシ洗われる。 一緒に触れてくる二の腕とか指先の感触が…やばい。 「はい、ソコは自分で洗ってね。」 必死でガードする下半身に、ポンと垢すりを置かれた。 さすがにここまでは洗ってこないか…。 ちょいちょいと洗い足りないところを自分の手で流す。 後ろを振り返ると、長い髪を自分で洗うアロエちゃんがいた。 こうして下ろすととても長い。 いつもツインテールにしているから気付かなかったけど…。 「毎日洗うの大変だね。」 「そーだよ。」 「洗ってあげようか?」 「いいの?」 直に触れるアロエちゃんの髪。 血液のような真紅、塗れていても、すっと手グシが入る。 座ると腰ぐらいまであるから、毎日これを洗うのは一苦労だろう。 傷つけないように、そっと洗う。 「ありがとう。」 「なんか美容師さんになった気分だった。」 「かゆいところはないですかー? って聞かないと。」 「ないですか?」 「もう流しちゃったよ。」 「なら何故言わせたの。」 「言わせたかったから。」 「はいはい。」 互いの体を洗った後、僕たちは別々に脱衣所に行き、 服を着てリビングに戻った。 「牛乳飲むー?」 「やっぱり湯上りには飲むんだね…。」 「飲まないと大きくならないよ?」 「じゃー僕も飲む。」 キンキンに冷えた牛乳瓶を渡され、フタを開ける。 よく見ると、冷蔵庫の中の一段が、牛乳によって占拠されていた。 「お父さんとお母さんも飲むからね。」 「牛乳一家?」 「まちがってはいないと思う。」 「たしかに育つとは言うけど。」 「お父さんのミルクで私が生まれたといっても過言じゃないんだよ。」 「それは、問題発言です…。」 「なんで?」 「お父さんに訊いてください。」 「今度聞いとく。」 アロエちゃんはパジャマ姿で、腰に手を当てて牛乳を飲む。 そんな姿がおっさん臭くなく似合うのだから、笑ってしまう。 「さて…。」 僕たちは黄色い空き瓶回収ケースに牛乳瓶を戻すと、 リビングの電気を消して2階に渡った。 階段は2階に上がったところでT字に分岐し、 右に曲がると少しの通路を経てアロエちゃんの部屋だ。 |
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